自然に囲まれて生きるようになって気づいたことがあります。
それは
自然界はすべてが経過だということ。
生も死も、
その前と後にあるものの途中です。
たとえば
花が咲き、実がなり、
たねから根と芽が出て葉が茂り、
花が咲き、実がなる
というサイクルに終わりはありません。
個で見れば、
そこに生と死を見ることはできますが、
それは区切りの一つに名前をつけただけ。
虫も動物も、
植物と同様に
種(しゅ)として見ると
大きなエネルギーが変化しながら
回り続けているようです。
鉱物たちも
山も川も
あらゆるものがつながっていて、
そのうえで
個別に顕現されているものだと思います。
人間の文明社会においては、
重要視されるのは結果です。
生きている間に何かを成し遂げるために
死ぬまでがんばり
未来のために
いまを売り
人工の単位の時間の中で
結果を求め
経過を犠牲に
生きているように見えます。
「時間」も「お金」も
人がきめたもの
それらを追わず
それらに追われず
負うのも
終われるのも
それらを超えて
王になるのも
認識によるもの
意図をもって
選択して
体現
そのように生きる
生きることそのもの
いまを感じること
経験することそのもの
「すること」から「在ること」へ
結果から経過へ