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遺跡

先日、佐賀県の吉野ケ里遺跡特別公開を観に行ってきました。

 

もともと考古学や歴史にあまり興味はなく、いまも全然詳しくないのですが

たびたびあるお導きにより不思議な体験をすることがあります。

ちなみに、ある特定の時期に特定の人々の間で共有されている「事実」とされていることはあるとしても

 「客観的」な「歴史的事実」というのはありえないと思います。

 

天動説や地動説、エネルギー論、進化論などいまの常識とほんの数百年前の認識は異なりますし、

いまの「客観的」「科学的」とされている認識への偏りにはかなり疑問を感じています。

 

テクノロジーの進化に反比例して人間の様々な感覚が失われていて、

たとえば音楽においては

演奏「技術」や音楽鑑賞の方式やスペックはどんどん上がっていても

「演者」と「聴き手」の両方の「音の奥にあるものを捉える感覚」はどんどん退化してしまっていると思います。

 

「数」が支配する世界においてはこの現状を変えることは難しいと私は感じています。

「エネルギーの絶対値」や「質」というものは「科学的」に測定できないため

認識していない方とっては存在していないようなものなのです。

(本当は誰もが生まれたときから持っている感覚であり、「社会的」生活をするにあたって閉じているだけなのですが)

 

もちろんわたし自身、死にかけて「目覚める」までそのことに気がついておりませんでした。


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例えばサプリメントとコンビニの加工食品と採れたての食品を比べたときに、成分が全く同じだとしても「エネルギー」が全く異なるということはわかると思います。


さらにそれが野菜だとしたら、

農薬や肥料を使って大量生産されたもの、有機栽培のもの、無農薬のもの、さらに自然に生えているものを比べたらさらに違うものになります。

そこに人の手が入るならば生産者の想いや流通や加工、料理する方、そしてもちろんそれを食べる方というたくさんのエネルギーを介することになります。


ですので、ビタミンCが何グラムとか、オーガニックだとかいくらスペックで良くてもそこだけでは測れないもののほうが多いのです。


そのうえで最初と最後には「愛」が一番重要だと思いますが、、話がそれてしまったので戻ります。


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吉野ケ里遺跡には急遽思いつきで訪れることにしたのですが、

ちょうど数日間だけ石棺墓の最後の特別公開をしているタイミングでした。

 

2000年前くらいの、弥生時代に埋葬されたと思われる方の石棺墓や甕棺墓(かめかんぼ)があり、

まず北墳丘墓といわれている、発掘された状態での遺構や甕棺墓が14基設置してある場所に

足を踏み入れたところ、何ともいえない感覚が押し寄せてきてしばらく動くことができませんでした。

 

観に行く直前までは「ワクワク」するような気持ちもあったものの、

その場に行ってみると鼓動が早くなり胸のあたりに何かこみ上げてきて

哀しみのような、でもそれはネガティブなエネルギーではなくて、

しばらくその遺構と時間を超えてつながることができた感じがします。

 

時間と空間の両方を超えることは難易度が高いため、

空間だけ共有すればあとは時間を超えればよいのでつながりやすいのでしょう。

その場所に直接行くことの効能だと思います。

 

そしていよいよ数日間だけ公開されているという石棺墓とその石蓋の場所へ。

石蓋から放たれるエネルギーはかなり強力なものだったので、

対面していると私の胸にかなりエネルギーが入ってきて、

身につけていた勾玉にもかなり転写することができた感覚がありました。

 

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今回の体験で思い出したのが

2019年に福岡県の平原遺跡で「死の体験の転写」と言えるような出来事で、

これにより「音立日子完全体」となることができたのでした。

 

今回の吉野ヶ里遺跡の体験のあとは

なぜか宇宙的な情報がどんどん入ってくるようになっていて、

数日前にもおそらく地球ではない星において

何かの儀式で歌われていたと思われる曲も夢で流れてきました。

 

それと、どうやら農耕の意識が植え付けられたようで、

うちの敷地内は野草だらけでいつもそれを食べていたのですが

いまは連日のように種まきや畑づくり、そしてなんと田植えまでしております。