昨日で【音之会】を終了しました。
会員のみなさまのことを考えながら、最後にお届けする曲を選んで歌っていたのですが、
顕在意識・自我(3次元)の「わたし」の熱量が高まれば高まるほど良いテイクは録れず、必ずどこかでミスをします。
最終的に悟ったというかようやく腑に落ちたのは、
当たり前なのですが曲も演奏も「わたし」のおかげではないということです。
そもそも「わたし」には曲を作る才能もなく「夢でいただいた」だけだし
演奏も歌う能力もないので、その曲のエネルギーを纏い「演奏させていただき」「歌わせていただいている」だけなのだと。
先日の『超音樂で神仏集合』のような、「わたし」にとって余りにも大きなエネルギーを扱う公演の場合は、
顕在意識の「わたし」が出る幕はないので、ある意味簡単に「100%のわたし」にすべてを明け渡すことができます。
そうすると私は単なる「通り道」になることができるので、ふだんの「わたし」が何千回やってもできないようなことを
余裕でできるのです(肉体的にはもちろん摩耗しますが)。
ですが、自分のスタジオで、しかもコミュニティの会員のみなさまに向けて歌うという状況だと
途端に自力でやろうとしてしまうのです。
こんな当たり前のことを今さら認識しました。
今まで何度死のうと思っても死なず、音楽をやめようと思ってもやめられず、
(3次元)の「わたし」の願いはほとんど聞き届けられておりませんが、
新しい曲を頂くとき、それを演奏しているときが「わたし」にとって至上の悦びです。
でも、それは結局「わたし」が感謝を持って「生かされている」こと、「音楽を通されている」ことを
きちんと認識しているときに発動するのです。